阿波公方・民俗資料館 (時代の玉手箱)




徳島県阿南市那賀川町古津339−1

  室町後期、撫養の岡崎で病死した、第10代将軍足利義稙(よしたね)の養子義冬は、父の悲願を果たすため、上洛しましたが戦いに敗れ、阿波の守護「細川持隆」に迎えられ、この地に落ち着きました。この義冬が、初代 「阿波公方」と呼ばれた人でその後9代にわたって阿波公方が暮らしました

阿波公方資料館   足利氏・阿波公方系図
 民俗資料館  西光寺
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阿波公方資料館

          



           



館内には 阿波公方様 縁の品々が展示されています


      
   

   




大瓦


    


     

        足利尊氏書の軍旗(レプリカ)

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足利氏・阿波公方系図

        1足利尊氏    
          ↓    
 1〜15 室町幕府将軍       2義詮よしあきら    
          ↓    
@〜H阿波公方       3義満  → 4義持
              ↓
        6義教よしのり 5義量
       → 7義勝  
        8義政  
          ↓    
11義澄よしすみ ←  10義稙よしたね ←  9義尚よしひさ    
↓→一一一一一一→                       →一一一一一→ →一一一一一→   
@義冬よしふゆ(義維よしつな)『初代阿波公方』         12義晴  
↓→一一一一一一一一→                   14義栄(義親)よしひで      
A義助よしすけ     15義昭 一一一 13義輝
           
B義種よしかず            
           
C義次よしつぐ   14代将軍  義栄公   
阿波(平島庄)から将軍が誕生しました。
しかし 織田信長に京を追われ わずか7ヶ月で
故郷に近い鳴門の地で病死しました。
まだ30歳の若さでした。
                 
 
D義景よしかげ  
 
E義辰よしたつ  
 
F義武よしたけ  
 
G義宜よしのり   9代の公方様が、約270年間阿波(平島)で暮らしました。
8代義宜公の頃には、阿波藩による減禄政策、大幅な補助金カットで、台所は火の車でした。そして9代義根公は、後ろ髪を惹かれる思いで京に向かいました。
 
H義根よしね  


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民俗資料館



別室の民俗資料館には、懐かしい品々が展示されています。現代と比べると便利ではない道具ですが、
どこか優しい感じのする道具です。まるで時代の玉手箱のようです



縄ない機

脱穀機

モミ選別機



   
        
カンナ ノミ 駄菓子を入れていたビン 映写機



             
映画のポスター(スーちゃん) 映画のポスター(真田広之) 遊山箱



   
蓄音機 氷カキと扇風機 阿波富岡駅の看板



    
防寒服 化粧品 ポスト



     
給食のおかず入れ 給食用脱脂粉乳のポット オルガン



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西光寺


阿南市那賀川町赤池185


西光寺は、第10代将軍足利義稙(よしたね)公、第14代将軍足利義栄(よしひで)公と初代阿波公方〜8代阿波公方の墓所となっています


西光寺門 西光寺


第10代 第14代将軍と初代阿波公方の墓所 墓所


本堂 阿波公方の説明


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